窓の向こうに

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震災と国会と、ずっと前に経験した十勝沖地震のことなど

震災のこと、あれこれ思うばかりで、あまり書かずに来てしまった。
先日、山のような山菜を相手にしながら、
毎年恒例で山菜取りに行く人のことを考えてみた。

春の山菜も秋のキノコ類も、採る人の楽しみは大きい。
キノコや竹の子など、その人その人の特別の場所があって、
貴重なキノコなどは親兄弟にも生えている場所を教えないという人もいる。
それだけ大切にしている場所が、ある日突然無くなってしまったら。
また、場所はそのまま残っていても、そこへ行くことができなくなってしまったら。

たとえば福島県飯舘村は、豊かな自然が残っていて日本一美しい村の一つと言われる。
初めて飯舘村を知ったのはネット友が寄せてくれた山の花(イワウチワ)の群落写真からだった。
山野草を愛培し、写真撮影も好きな知人にその群落写真を見せたら
「これだけ見事な群落は日本中どこを探しても無いだろう」と、感嘆していた。

山の斜面に、敷きつめられたように咲いているイワウチワを思い浮かべながら、
豊かな山の恵も当然あるのだろうと思った。
ワラビやゼンマイ、フキノトウ、ウド、タラの芽、ギョウジャニンニク
自然の恵みに加えて乳牛や豚、鶏など自分たちの手で育ててきたもの。
大切にしてきたもの全てを奪われる口惜しさはどれほど深いことだろう。

「ごめんね・・・」と、涙声で言って、
送り出す牛の頭を撫でいた酪農家の女性がテレビに映し出せれたとき。
意気地なしの私は黙って見続ける事ができなかった。

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大きな地震があると必ず思い出す事がある。
かなり古いことだけれど、1968年(S43)の十勝沖地震。
午前中、中学の授業の2時間めくらいだろうか、
大きな揺れが来て、児童生徒・先生の全てが校舎から校庭へ出た。
いつもは冷静な先生がスリッパを穿いたまま手には湯飲み茶碗を持っていたとか、
普段はオチャラケな先生が授業中の生徒を整列させたうえ、まとまって避難させたとか、
様々な話が残された。

当時の学校は一学年一クラス。小中一緒の僻地校だった。
クラスの中には当然のようにガキ大将的な男子がいて、それにくっついて歩く子、
そういう子たちに、からかわれやすい大柄で太っていて動作の鈍い女子もいた。

校舎は平屋で校庭に面して職員室や教室が並んでおり、
地震で大きく揺れた時、廊下を走って外に出るよりも窓から逃げた方が早い。
普通には動きの早い中学生、逃げ出すのは、たやすいこと。
ところが、太っちょで動作のにぶい女子が一人もたもたしている。
その時、いつもはからかう側にいたガキ大将はじめ数人の男子が、
一緒になって抱え上げ、窓から女子を出してくれた。
その他にも幾人か、気が動転したのかもたもたしている子がいて、
遅れないように皆で助けながら校庭に集まった。

当時の担任とは今でも親しくさせていただいており、
つい先日も、昔からの友人と先生のお宅を訪問。
大震災の後のことで、また十勝沖地震の思い出話が始まった。
悪ガキっぽいのもいたけれど、あの時の皆の行動はたいしたものだったと、
先生も教え子の自分たちも、当時の同級生を誇らしく思い、
話も弾んだことだった。

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今回の東日本大震災。直接震災にあった被災地の人達の協力体制はすごいと思う。
各地域の中には行政に頼らず団結して避難所を運営している所もある。
人知れず行動を起こして被災地のために働いている人も多い。

被災地に多く残っている瓦礫、取り残された動物、
目に見えない放射線に人生を狂わされた人達。
原発から20㎞以内だったか、一時帰宅の人の映像が入った。
ある男性が言う。家から持って来るものなど何も無い、ただ飼い犬を連れて行きたい。
家に行ったけれど犬は居なかった。置き餌がない所を見ると食べているのだろう。
山にでも行って元気にしていてくれれば・・・切ない声だった。

こういう状態が続く中で、今の国会を見ていると、腹立たしさを通り越すものがある。
政治にも行政にも疎いし、探しても言葉が見つからないが、
どこか間違っていることだけは確かなような気がする。

この大事のとき、党派を越えて協力してほしいという要請を断った党首がいた。
そういう人に、この先、誰がついていくと言うだろう。
まず何をしなければならないのか、言わずとも分かっている筈なのに、
今、総理の首をすげ替えた所で、また同じことの繰り返しのような気がする。

ずいぶん前のことだけれど、
外務大臣に推薦された緒方貞子さん(元国連難民弁務官)が、
その要請・地位(というべきか)を断った理由の一つに
「今の日本の国会には違和感をおぼえる」という一言があったように記憶している。
日本の国会に対して違和感。本当にそう思う。
調べてみたらそれは2002年のことだったらしい。
それ以前も、それ以後も、全く変わりなく、足の引っ張り合いをしている。

与野党が入れ代わっても党首が代わっても、やっていることは同じように感じる。
恥ずかしくないのか、国会で無駄な答弁を繰り返すよりも
被災地へ行って行動を起こしてみてほしい。
今も時々着用している作業衣(?)は、いつもきれいなままのように見える。

今の国会の様子も、被災地の現状も、置きさられた動物たちも
全て、マスメディアやネットによって世界中に発信されている。
世界中の人達が、日本のこの先をみている。
by cyakke-muu | 2011-06-05 14:12 | 東日本大震災